アゲル・フレルヌスの戦い:ハンニバル、牛の松明でローマ軍を翻弄

紀元前217年、トラシメヌス湖畔での大勝利の後、ハンニバルは南下し、カンパニア地方の肥沃なアゲル・フレルヌス(ファレルヌム平原)に陣を敷いた。ローマは、独裁官クィントゥス・ファビウス・マクシムスを指揮官に任命し、ハンニバル軍の封じ込めを図った。ファビウスは、直接対決を避け、持久戦によってハンニバル軍の消耗を狙う戦略を採用した。しかし、この戦略は、ローマの民衆と元老院から激しい批判を浴びることとなった。

ローマ市民は、トラシメヌス湖畔の戦いで受けた屈辱を晴らし、ハンニバルに一矢報いることを望んでいた。彼らは、ファビウスの慎重な姿勢を臆病と見なし、「クンクタートル(ぐずぐずする人)」という蔑称で呼んだ。元老院もまた、ファビウスの戦略に不満を抱き、彼に決戦を促す圧力をかけた。

しかし、ファビウスは、民衆や元老院からの批判にも屈せず、自らの戦略を貫いた。彼は、ハンニバルの強さを熟知しており、正面からの衝突はローマ軍にとって不利であることを理解していた。ファビウスは、ハンニバル軍の補給線を断ち、彼らの士気を低下させることで、徐々に優位に立とうとしたのである。

ハンニバルは、このファビウスの戦略を見破り、彼を挑発して決戦に持ち込もうとした。略奪と焦土作戦を繰り返し、ローマの民衆と元老院の不満を煽った。しかし、ファビウスは冷静さを保ち、ハンニバルの挑発に乗らなかった。

膠着状態が続く中、ハンニバルはアゲル・フレルヌスからの脱出を試みた。ファビウスは、カルタゴ軍の退路を塞ぐべく、山間の隘路に兵を配置した。しかし、ハンニバルは再び奇策を用いた。夜間、数千頭の牛の角に松明を結びつけ、隘路へ向けて突進させたのだ。

ローマ兵は、暗闇の中、松明の列を見て、カルタゴ軍の攻撃だと勘違いし、隘路を放棄して迎撃に向かった。しかし、そこに現れたのは、炎を纏った牛の群れであった。牛たちはローマ軍の隊列を乱し、混乱に乗じてハンニバル軍が攻撃を開始した。ローマ軍は隘路での優位性を失い、大きな損害を被った。

ファビウスは、この混乱に乗じてハンニバル軍を攻撃する機会があったにもかかわらず、あえてそれをしなかった。彼は、依然としてハンニバル軍の戦力を過大評価しており、深追いはさらなる損害を招くと判断したのである。この判断は、結果的にハンニバルの脱出を許すことになった。

アゲル・フレルヌスの戦いは、ハンニバルの戦術的才能と、ローマ軍の心理的脆さを露呈した戦いとして記憶されている。ハンニバルは、奇策と心理戦を巧みに組み合わせ、ローマ軍を翻弄し、見事な勝利を収めた。

この戦いは、第二次ポエニ戦争におけるハンニバルの戦略的優位性を改めて示すものであった。ローマは、ハンニバルという強大な敵を相手に、さらなる苦難を強いられることになる。

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